共感をつくる方法 —無難すぎても仕方がない—
記事の更新が遅れてしまい申し訳ありません。
このブログは学業と研究の合間に書いておりますが、なるべくコンスタントに更新するように務めて参りますので、宜しくお願い申し上げます。
さて、今回のテーマはズバリ「共感」です。
普段、同僚や友人と他愛もない話をしているとき、その人をまわりの人を話に惹きつけることが上手い人だなあ、と感じたことはありませんか?
話に惹きつけるというのは、単に話にオチがあって面白い、というのは違います。
話を聞いていると、自分でも気がつかないうちに思わず相槌を打ちたくなったり、すごいわかる!と言ってしまいたくなったりする状態のことです。
話に惹きつけるのが上手い人は、往々にして人の「共感」を生むのが上手な人なのです。
この共感させる能力が最も力を発揮するのが、歌詞です。
自分とは違う誰かの話なのに、自分の姿を重ねてしまったり、
もしかすると実際に起きた話ではないのに、リアリティを持って感じたり、
こうした力が曲の歌詞にはあります。
共感を生む人は、周囲の人からの視線と、協力を集めることができます。
何故なら、周囲の人はあたかも自分のことを深く、問題の根底にある部分まで掬ってくれるような感覚を得るからです。
良き理解者と言われる人も、その一人であるということができるでしょう。
では、「共感」を呼び覚ますためには、どうすればいいのでしょうか?
そのコツはズバリ「自分の話を混ぜる」「一般論に偏りすぎない」ことです。
もちろん大前提として、あまりにも突拍子のないことは言わないということがあります。
さすがに他の人との感覚が大幅にズレていることを言ってしまっては、共感を得ることは難しいです。
ですが、かと言ってあまりにもありふれたことを言ってしまっては、逆に共感を得にくくなってしまうのです。
ここにひっかかる人が、実は多いのです。
例えば、今日はとても寒い日だとします。
そこで周囲の人との感覚を合わせたことを言おうとするあまり
「今日は寒いねー凍えそうだよ」
と言ってみても、あまりにありふれているうえ、その発言に「あなた」がどこにもいないため、共感をしようにも誰にすればいいかわからないのです。
お役所から出る文章も、こうした傾向が強いと言えます。もしも公的な文章にあまり共感ができないと感じるならば、それはその背景に「誰か」を見ることができないからなのです。
では今度は、そこに「あなた」を入れてみましょう。
「今日は寒いねーぼくは南国出身だから、めったにこんなに寒くなることはなくて、もうほんとに凍えそうだよ。前にこんな気温だった時は風邪ひいちゃったから、服には気をつけないとね」
ちょっとわざとらしい、長い文章ではありますが、前の文章と比べてみてどうでしょうか。
とても寒いという状況は同じですが、伝えられる情報には「ぼく」という個人がいます。
これは歌詞も同様です。片思いをしている歌なら、その片思いをしている人が、失恋してしまった歌なら、失恋してしまった人がその言葉の背景にはいるのです。
そしてだからこそ、人の胸をつかむのです。
この「共感」を得るテクニックというのは、一日で習得できるものではありません。
ですが、日々の生活の中で意識的に試してみることで、いつの間にかできるようになっていますので、是非試してみてくださいね。